8月20日(土)

 

 

オフィスの鍵はまだできていなかったので,Su助教授の研究室で机の半分を分けてもらってまた一週間の仕事をした.夏休み中と新築のビルへの移転が重なって,まだうまく機能しない部署が多かった.気分転換でチャイナタウンの中国系旅行社では最大手の旅行会社が催行したトロントやナイアガラ滝などを回る観光ショッピングツアーに参加した.2泊3日のツアーは,家族3人で500―600ドルという大変格安のツアーであった.集合時間は朝7:15で,場所はチャイナタウンであった.

 

観光バスには,様々な人種の人が乗っていた.黒人の中年女性2人,広東系の女子大生3人,ロシア人の少年少女3人,三日間もおやつを食べ続けた湖南省出身の若いカップル,イギリスから来た中国人の母娘,それにスペイン人の家族,アラブ系のカップル,子沢山のアラブ系の大家族などなど.しかし,中国系は少数であった.30代のガイドさんはおそらく黄河下流流域出身の華北美人,ガイド補佐は長春出身のエネルギッシュなMcGill大学の女子大生,運転手さんは台湾出身であった.ツアーの解説はまずガイドさんの甘いフランス語で始まった.私にはちんぷんかんぷんであった.しばらくすると,中国語に切り替えてくれて,やっと話の内容が分かった.その後,若いガイド補佐は英語で少し補足した.最後に,運転手さんはたどたどしいスペイン語で何かを付け加えた.こんな調子でツアーが始まった.

 

広大な緑の平原を突き抜けた高速道路をひたすら走る3時間,セントローレンス川に面した遊覧船乗り場に着いた.川と言っても,浩瀚な水面が広がる湖のような水域に無数の青島が点在するThousand Islands(漢字名:千島湖)という観光名所だった.水域はカナダ領とアメリカ領に分かれていた.大勢の観光客と一緒に遊覧船に乗り込んだ.まもなく,汽笛が鳴り,船は離岸した.船内には英語,フランス語,中国語と広東語の放送が順番に流れていた.私はその中の一つ半ぐらいしか分からなく,ほかはみんな騒音だった.

 

その日には,風は弱く,水面は平静であった.我々の船が曳航した航跡だけが,船尾からゆっくりと広がり,小さな無名の島々の水際にぶつかり,また反射波として戻ってきていた.長崎県の九十九島を思い出した.しかし,こちらの多くの島々には,おしゃれな別荘が建っていた.遠くから見ると,マッチ箱のような大きさだったが,どれを見ても,ユニークなデザインだった.それぞれに米国またはカナダの国旗が翻っていた.金持ちの別荘だった.娘に「パパが金持ちになったら,こんなおうちを買ってあげる」と法螺吹いたら,たった零点数秒の時間遅れで「できるわけがないでしょう」と冷やかされた.人生って,虚しく感じた.島の家屋のお庭で寛いでいた人達が自慢げに遊覧船に向かって手を振ったら,デッキにいた老若男女も人形劇のお人形のように一斉に手を振った.みんなが無邪気に笑い,金持ちと挨拶を交わすことに見栄と満足感があったようだ.

 

遊覧船から下り,またバスに乗り込み,トロントに向かった.地平線を追いかけても,追いかけても,バスは広大な緑の絨毯上のおもちゃのようだった.途中でガソリンスタンドに立ち寄り,しばらく休憩した.ホットココアを買って,周囲の牧場から漂ってきた馬糞の臭いを嗅ぎながら,家族で回し飲みをした.ガイドさんは近寄り,「あなたの子は日本語をしゃべっているの?!」といい,そして流暢な日本語で子供に声をかけた.実は第一外国語は日本語で,北京で日本語の観光ガイドをやっていたという.驚いた!移民のできる人は,やはりただ者ではない!

 

旅行スケジュールのチラシに書いたとおり,バスは食べ放題の中華料理屋の前に止まった.しかし,店は閉まっていた!バス運転手が慌てて電話をしたあと,「店主は今日結婚式に行ったよ!」と頭を垂らしながら釈明した.日本だったら,旅行社関係者はみんな土下座していただろう.ここはカナダだから,誰も怒らなかった.その後は,マクドナルドで眉を顰めながら,塩味のハンバーガーを胃袋に詰め込んだ.

 

 夕方にやっとトロントに着いた.まず,553.33メートルのCNタワーに登り,黄昏のトロント全景を見回した.東京タワーや上海タワーに上った経験があったので,特別な感動もなかった.

 チャイナタウンで夕食をした後,郊外のモーテルに連れて行かれた.チラシには,Holiday Inn あるいは同クラスの「豪華ホテル」と書かれたはずだが,誰も異議を申し立てなかった.